前回の日記から、苦しい日が続きました。
約20年の付き合いの中で、こんなに夫が怒りをあらわにしたことがなく、それがこんなに長引くとは、事の重大さに気がつきました。
寝ても寝ても怒りが消えず3日続きました。
義父母さんへの怒り、私への怒り。
でも1番の理解者であるべき私への怒りは本当に大きく。あんな夫は見たことがなかった。
家がこんなに居心地悪いと思ったことが今までなくて、本当に苦しかった。
私の同居してからの変化。それを見るたび夫は辛く、どうしていいのか分からなかった、、寄り添っても寄り添っても私はちゃんとは良くならなくて・・
「そしたら自然体になれる場所に行けばいいよ」って、言ってあげたかったと。
それが・・何か・・自分の親が原因じゃなく、他のことだったら・・また違ったのかもしれないけど・・
なんのために家を建てたのか、なんのために仕事をしているのか・・分からなくなって、ずっと苦しかった。
この三日間、本当にみんな辛かった。一番辛かったのは夫で・・でも義父母さんも子どもたちも私も、みんな辛かった。
義父母さんたちともたくさん話し合いました。
でも「私がいけなかった」それしか私はなくて。
私はいつも、定期的に同居の辛さをあふれ出させていた。
溢れ出させることができていた。
でも夫は、一年もの間溢れ出させることが出来ないでいた。溢れそうになっては器を取り替えてそうさせないように・・
それは想像しただけでも、ものすごく辛いことだったと思う。
一番大切にしたい人をこんな風にさせてしまったことに私はショックだった。
色んなことが不安で胸が締め付けられて、眠れなかったし、怖くて手が震えた。
今までの日々が、どんなに幸せだったかがわかって、後悔した。
この三日間の心の苦しさなんて、いつも同居で感じていたモヤモヤ感とは比にならなくて、モヤモヤどころではなく苦しかった。
私は・・変わります。今までは、少しずつと思っていたけど、そうではなくてすぐにです。
同居したことで家族が壊れてしまうなんて絶対嫌だし、夫を一人ぼっちのつらさから解放したい。
義父母さんとも三日間話し合って、
私は上下別と考えてたけど、もうそれもやめて、ちゃんと仲間だと思うことにします。
義父母さんは決して意地悪な人ではないし・・私と違う性格で、はっきりしているから傷つくこともあったけど、生活感覚の違いとか、衛生観念の違いとか、子育てのし辛さとか・・今まで私の中でとても重要だった。
でも、壊れそうになってそれでも日々が幸せだったことに気がついて。
だから私は・・我慢するんじゃない。頑張るんじゃない。耐えるんじゃなく、ただ、仲間と思って、大好きな人の親だということ。それを忘れない。義弟も義妹も大好きな人の弟妹なんだと忘れないこと。
思いやりを忘れない。
嫌なことは、ちゃんと本人と話し合う。
愚痴を言わないんじゃない。愚痴にしない。
頑張るんじゃない。自然体でいる。
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昨日は義弟家族も義妹家族も来たのですが、私と夫は2人で清里へスノーボードに行きました。
娘が産まれてから私はやっていなくて、子どもたちがスキーをできるようになってからも、荷物持ちに徹していました。
だけど、4人で楽しめるようになりたくて、夫を誘って(まだ苦しい中で誘ったので断られるのは覚悟していたのですが)行きました。
私は運動音痴で、怖がりで、スノーボードは昔からド下手だったけど、どうにか上から不安定に降りてくるまではできるようになりました。
本当に怖がりなので・・
出かけながら落ち着きながら、夫とも話をして、行きの車中は苦しかったけど、1日楽しかった。
2人で焼肉食べて、子どもたちにお土産買って。
夜は子どもたちが寝た後で「きいろいゾウ」を2人で見て。
幸せだなと思って。
胸の苦しみもなく、寝られて。
今も、夫の苦しがっていた姿を思い出すと苦しくて涙が出て来ます。
子育てとか、日々のことで当たり前になりすぎていたけど、私は夫が大好きです。20年前と、少しも変わらず。
昨日は7日だったのに、はじめて七草がゆを作るのを忘れてしまいました、、
遅れちゃったけど、今日の朝は七草がゆ、食べようと思います。