娘、今日も登校していきました。
友達と遊ぶことを活力に。
娘は勉強が大っ嫌いです。
これってどうしてなのかな?と思います。
私も短大まで中の中。たまに下。そんな感じの成績でした。できもしないし、悪くもない。あっ、たまに悪い。みたいな感じでした。
もちろん勉強が好きだったわけではありません。成績UPするために「頑張るぞー!!」という感じでもない。
でも…「大っ嫌い」の感覚って分からないです。「あー、テスト前かー、勉強めんどくさいなー」とか、「やらなきゃいけないのは分かってるけど…やりたくないなー」とかはもちろんあったけど…。
「大っ嫌い」の感覚は無かった。
短大でも教養科目は…やっぱりテスト勉強となると、「んー…めんどくさいなー」と思っていたけれど…。話はけっこうなるほど、なるほど!!と聞いていたり…。
「大っ嫌い」
なんでそこまでになってしまったのだろう。
ずっと、得意ではなかったけれど、ノートをまとめるのが大好きで、いろんなペンを使ったり、イラストを書いたりしながら勉強してた娘。
それを否定され始めたのがスマホを持ち始めた時期と重なります。
小学校の頃までは、イラスト付きで歴史をまとめたりすると、先生に褒めてもらっていたのに、中学になると「ノートまとめるの意味ない」となりますよね。
中2の時、勉強時間に対して成績が良くなかったので、担任の先生に指摘されました。
学校でノートまとめをしていると、「まだやってる」と言われたりしていました。
たしかに成績を劇的にUPさせるにはきれいなノートづくり、イラスト付きのノートづくりは必要ないかもしれないです。
その頃は、私も公立高校普通科を考えていたので、先生の意見に同調してしまった。
今考えると、もっと娘の好きなことに寄り添ってあげれば良かったな。と、激しく後悔しています。
遅いけど…。
ノートづくりが好きな子はそれで良いではないですか?と思います。
対して息子はノート作りになんて興味は無いので教科書やワークをやり込むのみ。
逆に、息子にノートづくりをしなさいって言っても無理なんです。好きじゃないから。小学生の時、「自主学ノート」と言って、家で家庭学習をしたものを学校に宿題として提出する。というのがありました。
問題を写したりして解いたりして。
いっつも言ってました。「これって意味ある?問題写すのとか時間無駄じゃない?」と。
対して娘は自主学ノートが大好きでした。
歴史人物を調べてイラストを自己流に描いて自己流にレイアウトして可愛く仕上げる。
勉強なんて、自分の好きな方法で、たまに試行錯誤しながらやればいいのに。
なんであの時、気が付かずに「ノートづくりしないでワークとかそのまま覚えよっか?」とか言っちゃったんだろう。
今思うと切なくて涙が出てくる。
「絵を描いたり、可愛く仕上げたりするのが好きなんだから、それで良くない?先生の言う通りにしなくて良いと思う」ってなんで言ってあげなかったんだろう。
それからスマホでSNSをやり始めて、それからずっとSNS依存です。
勉強嫌いが、ノートづくりの否定が理由ではないかもしれない。
ただ単に、SNSにどハマりして、勉強がめんどくさくなって、嫌いになっただけかもしれない。
それでも親となると「あの時の、あれがいけなかったのでは?」と考えてしまいます。
一度勉強から離れると、数学や英語は、きっとどんどん分からなくなって、どんどん嫌になるのかもしれないです。
あんなに夢を持っている子だったのに、何もないのが切ないです。
でも「県外に行きたい」という気持ちは持っているようです。
それは良いことなのかもしれません。
夫も、とりあえず東京へ。という一心で受験を乗り越えたそうなので。
スマホにしか興味がないって…大丈夫なのかな。心配です。